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Column - 

Fuji Rock Festival 04


「行かないの?」

それは妻の意外な一言から始まった。

 長女が誕生したのが、2002年。僕たち夫婦がフェスに参加するようになったのが1999年のライジングサンから。この年はライジングサンが初めて行われた年で、地元の大きなロックフェスということで、北海道に生まれてロック関係で恩恵を受けたのは初めてのことである。この年の出演者は、ミッシェル、ナンバーガール、ブランキー、スーパーカー、サニーディなどなどかなり強力なメンツで、このときに夫婦の間で「来年は道外のフェスにも行こう」という話になった。

 翌年は、クリエイティブが初めて「サマーソニック」開催を表明。東京と大阪同時開催という画期的なフェスであると同時に、メンツがとても魅力的だった。TFC、フレミング・リップス、ブレイク寸前のコールドプレイ、グランダディ、復活したウィーザー、マンサン、ミューズに、アット・ザ・ドライヴ・イン!と今にして思えば信じられないラインナップだと思うが、僕たちは大阪に行ったことがないことを理由に参加することにした。大阪の暑さに、そして会場の砂埃と危険なノリに圧倒されながらも、最後は帰りたくないくらい楽しむことができた。
 そして、ライジングサンも2年目の余裕で楽しんできた。1年目はすべてしっかり見ようとガツガツしていたが、このときは夫婦でよく寝た。よって、あんまり思い出には残っていない。向井秀徳に会ったくらいだろうか。

 2001年は、中村一義、ソウルフラワーユニオン見たさに、ロックインジャパンに参戦。毎日東京から水戸まで地獄の往復。この年はなぜが、ジョンスペとJJ72が参加していて、JJ72の浮きっぷりは見ていて、痛々しかったです(個人的にはすごくうれしかったのですが)。もちろんライジングサンにも参加。

 しかし、この後からフェスには参加していません。やはり状況から行って家族では行けないし、一人だけ楽しむというわけにも行かず。「フェス浪人」を2年ほどしました。
 今年も2人目が誕生したばかり、ということで思いはありつつも現実的には無理だろうと考えていました。

 実は今家を建てている途中で、来年からは家のローン返済が始まります。妻も職場に戻り、生活的には今よりも余裕が無くなることは間違いありません。妻は、その状況をふまえた上で、フジロックに行くのなら今年しかない、と考えたようで、家族全員は無理だけど、一人でいいなら行ってきたら、と言ってくれたのです。

 うれしい話ながらも、最初は迷いました。8/3には大事な仕事があるし、お金も10万はかかるはず。やっぱり気が引けます。
しかし、来年の方がフェスに行く余裕がないことを考え、申し訳ないなと思いながら、行かせてもらうことになりました。妻よ本当にありがとう。

 というわけで、遅ればせながら、フジへの準備を始めることとなりました。しかしながら、苗場って新潟のどの辺かも分からない自分にとって、準備は半端なものではありませんでした。

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